2011年10月22日土曜日

10月の近況

10月に入りました。生活で変わったことといえば、9月までの節電シフトが終わり、世間一般と同じ土日休日制になったことです。

体調はといえば、あまり芳しくありませんでした。9月後半からホットフラッシュが激しくなり、涼しい夜でも夜中に暑くて目が覚めてしまう。日中も時々思い出したように額に汗が浮かぶくらい暑くなる(これは3~5分くらいでおさまる)。これは涼しくなってみるとやっかいです。
また、肩こりと頭痛が頻発し、特に頭痛がいつまでも治まらず、吐き気に発展し、そのままトイレに駆け込んで吐いたりしていました。だいたい吐くものがないときにくるので、胃液ぽいものが出るのみ。一回吐くとすっきりするのですが。

10月8~10日の三連休がありましたが、その前の週がチョット仕事がつまり気味な上に送別会などがあり、夜が遅くなる日がちらほら。三連休初日は友達とお茶して楽しく過ごしたのですが、日曜と月曜は体調最悪で。月曜日は朝から遠方の友と散歩&朝食をご一緒したのですが、途中から話を聞いていられなくなってしまい、節々が痛み、家に帰ったとたんひっくり返るように寝込んでしまいました。

これではいかんと病院の予約をとって、相談しにいってみました。
病院の日も午前中から何度もホットフラッシュ。そんなこんなで疲れたせいもあり、気分もふさぎがち。おまけに骨折の件を医者に伝えたところ、「整形は適当なことばかり言う、まだ骨に影響の出る時期ではない」とぞんざいに言われたことがこたえ、精神的にも身体的にも苦しい通院になってしまいました。
結局、「当帰芍薬散」という漢方薬を処方されました。(ここでまた、トラブルが。処方箋にその薬の名前が記されておらず、会計を済ませてからまた婦人科外来に戻って伝えると、そこの担当看護婦さんが「漢方薬?何ですかそれ」という対応で。この病院は入院病棟の人やシステム良いのですが、外来はちょっとダメダメな傾向があり、ストレスがたまります・・・)

漢方薬はしばらく服用しないと効果が出ないので、ちょっとがんばって飲んでみます。今週初めまで頭痛と吐き気はありましたが、週あけてからはなくなりました。先週みたくがんばっていないということも大きいのだと思います。足の指は相変わらず、歩いているときは平気なのですが、その後座っているとジンジン痛くなってくる感じ。これも悩みの種です。

まあ、これからずっとこの体調と付き合っていくわけなので、工夫していかねばなるまいです。

2011年9月27日火曜日

9月の近況

まもなく9月が終わりそうです。

無事社会復帰しました。ほぼ普通の生活に戻っていますが、以前と違うことは、
・23時には必ずベッドに入る
・昼食は量を自分にあわせるため弁当持参
・無理しない
その三点は厳守するようにしています。

ただ、23時まで・・・については、友達と夕食を食べにいったり、
先日は台風で帰れなくなったり、客先の送別会があったりなど
やむをえない場合がありますが、週に2日続けて23時以降に帰宅となったときには
その後3日くらいの間だるさがぬけませんでした。

そのほかですが、ホットフラッシュが出ています。
体温調節ができなくなっているらしく、日に数回、ぶわーっと暑くなります。
額に汗をかくくらい。これまでは毎日暑かったので気にならなかったのですが、
涼しくなってから顕著に出るようになりました。
3分くらい我慢すればなおるのですが、不快感でちょっとどよーんとなります。
また、客先で打ち合わせをしているときなどに出ると、困ります。

そしてもうひとつ。
私はもともと外反母趾気味だったのですが、退院してからちょっと痛かったんです。
で、指を伸ばしたり、サポーターをつけたりして過ごしていたのですが、
どうにもこうにも親指の付け根が腫れて痛いので、整形外科に行きました。

最初はお医者さんも、外反母趾の進行だね~と言ってたのですが
レントゲンをとってみたら、それほどの進行はなかった。
しかし、ブワッと腫れている原因は別にあって、
親指の付け根の小さい骨が割れていたんです。両方とも。

といっても、今年の五月以降運動はしていないし、毎日スニーカーばきだし、
何よりそんなに一所懸命歩いたりもしていない。
ということで、整形のお医者さんに手術のことを話したら、
やはりホルモンバランスの崩れによるものだろう、ということでした。

骨も砕けてしまうなんて、どんよりです。

割れた骨は元に戻らないそうで、消炎剤と痛み止めの飲み薬をもらいました。

先日、産婦人科の診察では、腫瘍マーカーの値が90から11に下がっていて
順調と言われたばかりだったのになあ・・・

まあ、これも自分の身体ということで、受け止めていくしかないですね。
とりあえずは、腫れが収まるまで、整形の治療に専念しておきます。

2011年8月13日土曜日

できるようになったこと、まだできないこと

できるようになったこと
・前よりも早めに歩けるようになった
・前よりも長く人と話せるようになった
・ごはんは通常の半分~2/3は食べられるようになった
・昼間疲れて思わず横になってしまうことがなくなった
・腹痛が治まってきた、痛み止めを飲まなくても耐えられるくらい

まだできないこと
・走ること
・無防備なくしゃみ、咳
・完食
・重いものを持つこと
・湯船につかること
・クッションなしで横になること(腹に当てて支えにする)
・おなかを押さえないで人の多いところを歩いたりすること

もうしないこと
・夜更かし
・不規則な食事
・無駄な気遣い
・無理なこと

これからすること
・規則正しい生活
・アロマテラピーの学習
・好きなことをたくさん

2011年8月12日金曜日

配慮

しばらく土日は自宅勤務でよいと許可いただく。サンキューボス。

激務癖のついてる人にこの病気の話をして脅してみたが、なんだか的を得ない反応というか、言ってはいけない風味の冗談を言われ、もうこの人には何も言うまいと思ってしまった。お節介するもんではない。

暑いので腹帯をタオルにかえたら腹は痛むは血はでるわ。冷房のきいてるところで腹帯をすることにしたらあっさりおさまった。

規則正しい生活は、母のおかげで続行中。来週から一人だからがんばった続けねば。

2011年8月8日月曜日

2011年8月5日(水)精密検査の結果発表

一年前の8月5日、長いつきあいの友達を亡くしました。
彼の命日に、お墓参りに行きたかったのですが、この状態ではままならず、しかも今年のこの日、何の因果か、精密検査の結果を聞きに行く日になっていました。

手術では、まず腫れている左の卵巣を摘出。
それを病理検査に出し、結果により手術の方針を決めるやり方。
私の場合、その結果が既に「境界悪性」だったので、そのまま子宮と右卵巣、大網を摘出しました。
しかし、その結果というのは70%の確率での回答なのだそう。もちろん、残りの30%が良性という判断になることはなく、悪性の可能性があり、術後の病理組織診断で悪性と判明した場合には、再手術または化学療法と言われていました。

ちなみに、境界悪性と悪性の違いについて。
腫瘍自体は「悪性」と共通なのですが、悪性の場合は、それが細胞にまで浸潤してしまっている状態だそう。または転移なども。
境界悪性の場合は、浸潤せずに、悪性腫瘍が上皮の上にとどまっている状態を言うんですって。
つまり、境界悪性の場合は、今取っておかないとマズいことになっていたというわけです。

で、病理組織診断の結果ですが、浸潤や転移は見られなかったです!
つまり、再手術や化学療法の必要はないということ。
ブラボー!!!

境界悪性腫瘍については、Ib期というステージで、詳しい診断結果表をいただきました。
左卵巣腫瘍は「境界悪性漿液性腫瘍」ってやつ。

そして驚くことに、「右は異常ないですね」「右はきれいですね」と言われ続けてきたのに、いざ病理検査をしみたら、右卵巣も境界悪性腫瘍であったことが判明! 
こちらは「境界悪性類内膜腫瘍」ってやつでした。

子宮は腫瘍はなかったのですが、頚部に慢性炎症があり、ナボット嚢胞があるらしく。こちらは数年前に頚がんの検査にひっかかっているのですが、今回は異型性は見られず。

大網には転移などありませんでした!

というわけで。無駄死ではなかったか、と思っていた右卵巣も、大変な目にあっていたことが判明。

また、腹水もたまっていたそうです。

私は自覚症状まったくなかったし、多少だるい、疲れやすいのは貧血のせいだと思っていた。左わき腹が重かったけど、歩いたり走ったりするのに支障が出るほどでもないし、本当に「沈黙の臓器」ってあるんだな、と思います。私がもし、検査に通い続けてなかったら、気がつかないで悪性腫瘍になって進行して・・・と思うとぞっとする。

今後については、再発するとしたら腹膜なので、その経過観察をしていくことに。
5年間は無理できない人になってしまったわけです。

化学療法を受けている人たちをたくさん病院で見たので、現実感を持ってしまっていましたし、再手術となったら、またあのつらい目にあうなんて、それだけで病気になってしまいそうな気がしてました。

同じような闘病経験のある人と話すと、「仕事や生活を見直す良いきっかけになった」と言います。本当にそうだと思います。もう夜更かしも無理もしませんからねー。

というわけで、いまだ腹痛やもろもろあり、食欲もなく、普通の状態とはいえませんが、先週に比べたら本当に人間らしくなっています。

生活や仕事の見直しや工夫について、今後さらに考えていきたいと思います。
とりあえずは、よかったべ。

2011年8月4日木曜日

赤坂往復

昨日より、超短時間のお試し勤務中。座れる電車なのでラク。ひとまず順調だが、いつもぺろっと食べていたランチが半分しか食べられなくなっている衝撃。

2011年8月3日水曜日

花のある生活

いまの季節、結構足が早いので、写真に残しておく。M子から届いたお花。


二子玉川往復

ちょうどよい散歩コースであり、アロマテラピーの材料を調達できてよい。
私の病は今後、ホルモンバランスが崩れがちになるのが課題。
関節障害や口や鼻などの粘膜が乾いたり、のぼせ、肩こり、不安感などなど、いわゆる「調子が悪い」という厄介な状態になりがちだとか。
アロマテラピー試験受けておいて良かった。勉強してて良かった。
症状予防のため、いろんなスプレーを作っておく。ついでにリップクリームのキットも仕入れたので作ってみる予定。
おまけでハーブティーもらっちゃって満足。

2011年8月1日月曜日

手術のこと

やっとパソコンにむかえるようになりました。
手術前後のことを忘れないうちに。

手術日は朝から絶食、朝の浣腸後、手術着に着替える。前日より麻酔科からもらった胃薬を飲む。

研修医の男性に、点滴の針をさしてもらう。その後、手術着に着替えると点滴装着。

手術後一日過ごす回復室にベッド移動。私自身は点滴をガラガラひっぱって歩いていく。ベッドと戸棚と荷物は看護師さんたちが運んでくれる。

手術の時間となり、ストレッチャーが運ばれてくる。それに寝て、ガラガラと手術室まで運ばれる。

手術室の手前に家族控え室がある。うちの母はあっさりしているので、特に励ましの言葉もなく、控え室に行く。分厚い本を持って。

私はそのまま手術室に運ばれる。麻酔科の医師(説明した人とは違う人、男女1名ずつ)が元気よく挨拶。看護師さんも挨拶。なんだか宗教のように明るい挨拶だった。

手術用のベッドに移動する。頭にシャワーキャップみたいなのをかぶせられ、足に血栓防止のポンプがつけられる。心電図や、色々な管がつけられる。

まず背中に痛み止めの注射をする。その後、背中に部分麻酔の注射。痛み止めを入れているので麻酔注射は痛くないが、太い針が入っていくのがわかる。

その後、酸素マスクがつけられ、点滴に麻酔が装着される。目をあけていたが、数秒で意識がなくなる。

次に気がついたときには手術が終わってた。名前を呼ばれて目を覚ました途端に激痛が!!!!
全身麻酔が切れても部分麻酔が効いてるから痛くないって言ってたのに!!! 痛いじゃん!!!!!

それから、トイレにも行きたい感じがしたので、それを訴えると、「お小水のカテーテルが入っているからそんな感じがするんですよ」と。

部屋に運ばれ、痛み止めの筋肉注射をされる。部屋についたとたん、また酸素マスクを入れられる。足はポンプをつけたまま、汗が噴出してくるも身体を動かすこともできなかった。

一時間ごとに熱と血圧と血中酸素を測られる。血圧は70台まで下がり、熱は38度前後。38.5度以上が続かない限り、解熱剤は入れないそう。傷を治すための熱だからなのだそうだ。

時間がわからないので母に聞くと、15時近かった。こりゃー、良性の手術ではなかったなと思い、母に聞くと「境界悪性だったよ」と。母は切り取った私の臓器も見せられたそうで、片方の卵巣は湿疹みたいなぶつぶつだらけだったそうだ。

そこで両方の卵巣と子宮と大網を摘出したことを知る。

その後は一晩中、一時間おきに看護師さんがきて熱や血圧などを測ってくれていた。
ありがとうございます。

翌日も熱は下がらず、血圧も上がらず、自己血を点滴で輸血する。
昼過ぎに一度立ち上がらせられたが、脳貧血を起こしてしまい、そのままダウン。
夕方には室内トイレまで歩いて、カテーテルをはずしてもらうが、お小水はしばらくでなかった。
歩きだしたので血栓防止のポンプも外れる。これが手術翌日の夕方。

このとき、母と姉が部屋にいたが、ぬきうちで、手術日を勘違いしていた方がお見舞いに来てくださった。本当に、気持ちは大変ありがたいのだが、この状態で見舞いに来られるのは非常に非常につらかった。
人が入院したらお見舞いに行きたくなるものだが、本当に状況は見極めて行かないと相手がつらい思いをするのだと、本当に実感した。

そして手術の次の次の日の朝、背中の部分麻酔がはずれ、はずれた途端に死ぬほど痛い思いをし、痛み止めの点滴を入れてもらい、4人部屋に戻った。もちろんベッドごと。

点滴はその後2日続き、その翌日からやっと流動食が始まった。

ああ、あらためてえらいこっちゃでしたよ。

2011年7月31日日曜日

雨が降ると

噂に聞いてたとおり腹が疼痛い。
久しぶりに午前中から痛み止めの世話になる。
昨日も雨だったけどなんで今日なのか、気圧とか関係あるのだろうか。

毎日、Yくんにもらったブレンダでバナナジュースを作ってる。恐るべき合併症のひとつ、腸閉塞予防に大いに役立つ。ありがたや。

午後はまた二子玉川まで歩いた。さすがに人が多かった!

2011年7月30日土曜日

本日の進歩

公園の散歩も飽きてきたので、二子玉川まで歩いてみたところ、無事行けました。帰りは電車に乗ってしまったが。
さらに食欲落ちがちなところ、自主的におやつを食べたのも進歩でした。
写真は午前中に届いたAさんからのお花。早く茶をしばきたいものです。


ぶた

姉の友達にもらったお菓子。ぶたの和菓子でした。


2011年7月29日金曜日

自宅療養

朝は7時前後に起床。ご飯を食べてから新聞を読んで第1回散歩。駅やスーパーを歩いて帰ってくる。その後普通にすごせるときと、ダウンしてしまうときがある。
昼ごはんのあとはちょっとテレビか読書。暑いときは外に出ない。
夕方第2回散歩。最近は砧公園へいく。帰ってくると汗びっしょりなのでシャワーをあびてごはん。そのあとは9時ころ疲れて寝てしまう。かーちゃんがごはんを作ってくれるので助かってる。
牛乳パックひとつ持てない情けなさ。

これからいろいろなことがあるんだろうなと時々思う。心無い人の言葉は慣れるしかない。ホルモンバランスの問題も出てくる。無理がきかなくなるし、何もしてない割にゆううつになるネタは盛りだくさん。
ひとつずつ、ひとつずつ。

2011年7月28日木曜日

退院

無事、家に帰りました。
時々近所を散歩したりしながら養生します。
まだ通常のスピード、距離はむつかしいですが、徐々に慣らしていきます。

2011年7月26日火曜日

本日の夕景


退院決定

炎症反応もなかったので、大量の痛み止めとともに明日以降自宅療養です。

抜鉤

ホチキスのようなもので留めていた傷口の、ホチキスのようなものをとりました。いわゆる抜糸みたいなもの。
はじめてお腹の傷と対面。まだ血が固まったのが周りにひっついている。でも思ったほどブラックジャックじゃない。これからよろしくな。
痛いのはお腹の中で、傷口そのものは全く痛みは感じません。

2011年7月25日月曜日

腹が痛いとき

痛いことに集中しないと少しまぎれる。

退院予定

昨夜、主治医の先生より、水曜日ころ退院との連絡あり。
もっと普通になってからかと思ってたら、管や針が抜け、ちょっと歩ければ、退院になるらしい。
自宅でのリハビリを工夫せねばです。

2011年7月24日日曜日

夕方

風が気持ちよさそうだったのでまた中庭に行ってみた。


きついことランキング

楽なほうから、注射する→メールうつ→歩く→飲む→スマートフォンいじる→音楽聞く→本読む→食べる→起き上がる→寝返る→人としゃべる→咳やくしゃみする。
看護士さん以外の人と、10分以上しゃべったりするのはまだ無理みたいです。意外なところにエネルギーを使ってすごく消耗する。

はじめてのお散歩

中庭まで歩いてみた


点滴取れました記念

途中、漏れ事件が発生したため右腕になってました。
長い間おつかれさま私の血管。


点滴とシャワー

点滴が外れました。針は刺したまま。
ほどなくシャワーのお許しがでて、
その後、針も外れました。
大きく前進。

入院一週間

やっと本を読むことができるようになりました。
今日は院内一階を歩いてきました。
まだ長時間は無理だけど、少しなら歩ける。
お見舞いはありがたいのですか、健康なペースで話されるのを聞くのはとてもつらいので、くる前に問い合わせてくれた人には申し訳なくもお断りしています。
毎日できることが増えてきます。

2011年7月23日土曜日

飲んだ薬記録

フェロミア(増血剤)
ラキソベロン液(50ml、下剤)
マグコロールP(下剤)
ザンタック錠(胃薬)
大健中湯(腸の動きをよくする薬)
ポンタールカプセル(痛み止め)

大分見慣れた風景

維持駅は六時間で一日2~3回、抗生剤は二時間で一日2回、痛み止めは飲み薬に切り替えたのでもう終わり。ごはんは三分粥まで出世。


痛み止め

背中に針が刺さってて、このポンプを押すと薬が注入される仕組み。すこぶる効き目。


ポロロッカ現象

アマゾン川で年に一回?逆流するってやつ。
昨日、点滴に血液が大逆流する恐怖の事件が起こったとき、思い出せなかった名前を思い出した。
回復してる証明。

最悪のときは

自分が楽になることしか考えられない。身体を10センチ動かすので精魂付きはたてる。人と話すなんて論外。気遣い、挨拶、礼儀作法、全部無理。
今朝は点滴の針入れ替えに三回失敗した看護士さんに大丈夫大丈夫と言えたから、それだけ回復したと実感する。
手術から昨日まで担当してくれた看護士のみなさん、お礼を言っませんでしたありがとう。

2011年7月22日金曜日

痛み止めが効いていると

夕日の美しさも目に入る


流動食開始

朝、レントゲンをとって、腸閉塞はないので昼ご飯から流動食開始。
牛乳、リンゴジュース、すまし汁、お茶。まだあまり飲めない。

ときどき、臓器がたくさんなくなっちゃったなーと思ってブワっとくる。痛いとか苦しいとは別に。いっぺんにたくさん摘出したから特にそう思うのかも。

術後2日

部屋移動。4人部屋にもどる。点滴しまくり。最後に熱がぐんと上がり、その後平熱に。血圧90に戻る。ガスが出ないので坐薬を入れられる。坐薬よりも体勢変更がつらい。痛さをまぎらわす手段もなし。本も音楽もおしゃべりもまだ無理。夜から水が飲めるようになる。麻酔を抜いたので寝返りもできず、背中まで痛くなる。苦行はつづくよどこまでも。

2011年7月21日木曜日

術後一日

熱下がらず、痛みどめ使用。血圧が77まで下がる。
自己血を輸血する。回復促進のため立ち上がって部屋の中を歩かされる。苦行である。

2011年7月20日水曜日

結局

境界性悪性腫瘍でした。
両方の卵巣
子宮
大網
を摘出。四時間の手術でした。

今は熱が出て痛いっす。

2011年7月19日火曜日

部屋移動

手術後の回復用の個室に移動しました。10時30分から手術です。

点滴開始

こんなんつきました。まだ余裕綽々。


針刺さり人間

しばらくこのような状態で過ごします。右手に刺したので、左手を鍛えておくことにしよう。


リアル村上ワールド

といっても春樹ではない。龍です。
おととい夜に続き、昨日15時にも、粉を水にとかす下剤を飲む。濃くてまずいポカリのような味。

そのあとは頻繁にトイレへ。夜中にも何回も行く。どうやら向かいの人も全く同じ薬を飲んでいるようだが、そんなにトイレに行く気配がしない。なぜ、、、

そして今朝、看護士さんに浣腸をしてもらった。

入院前から龍さんのエクスタシー3部作を再読している。ドラッグとSMと破滅の話。浣腸シーンでさえどこか優雅だ。せめてその世界を思い浮かべることにする。

最後の胃薬を飲んだのであとは待つばかり。昨夜と今朝、若女子先生が様子を見に来てくれる。考えてみると彼女らもすごい長時間勤務だ。どの世界も働き者が支えているのだね。そして税金で日本を支えている。ニートの諸君、その現実をまずは知るのだ!

2011年7月18日月曜日

いよいよ絶食

三食のおかゆがおわり、後少しで水分も禁止になる。私はお腹がすくと眠くなるたちなので、今日はがっつり寝そうです。
そんな折、かーちゃんから「スーパーでアイスが四割引だったわ!」とメールが。ガッテム!

lang droid

素晴らしいAndroidアプリ、lang droid。NHKラジオの語学番組がダウンロードできるので、いつでもレッスンが聴ける。普段、忙しくてサボリがちだから、入院中はラジオ英会話をきちんと聴こう。

テレビは有料、普段からそんなに観ないから問題ないけどいざとなればワンセグがある。私のれぐざちゃん、大活躍だわ。

手術準備

美人看護士さんに剃毛とお臍の掃除をしてもらう。男子ならウハウハだろうなー。

ファッションチェック

徘徊して気づいたのですが、女子のねまきが概ねねまきではなく、チュニック+レギンスという、そのままお出かけできそな人が多い!
私のようにパジャマのズボン+Tシャツという「合宿ぽい」人もいるにはいるが、前者が圧倒的多数!
こんなところにもトレンドがあったんだべー。たまげたわ。

デトックス

昨夜寝る前に下剤を飲む。通常五滴くらいの薬を5ml。
そして本日からお腹を空っぽにしていくということで、おかゆと卵、ヨーグルトのみのご飯が始まった。
おとといタイラーメンを食べてた私がなつかしい、、、
しかし、ちょっと前に流行った断食道場ぽいので、肌キレイになったりして!と思うことにする。

若女子先生はどうやら研修医のようですな。昨日の採血のようにときどきやらかしてくれるが、もう初回のような言葉足らずな感じはない。やはりあのときの看護士さんとの不仲説だな、、、とりあえず少林寺の話などして仲良くなってみたぜ!

看護士さんはみなさん親切な方ばかり。夜勤の人なんて12時間以上働いているのにテンション変わらず。これがホスピタリティというものなんですね。
よく、あの人空気読めないなーとか、気がきかないなーと感じることがあるけど、それってつまりはホスピタリティの欠如ということにつきると思った。想像力をはたらかせれば、いうべきこと、いうべきではないこと、やれること、やるべきではないことは、だいたい判断つくもんね。

という入院二日目のはじまりでした。

2011年7月17日日曜日

消灯後

昼間眠かったのをガマンしたのに、夜は目が冴えてしまう不思議。この消灯時間にすっかり慣れたころ社会復帰となるであろう悪夢。

まさに収監

バーコードがつきました。


こんな人たちも一緒

母が帰ったのでシャワーを済ませて一休み。持ってきたエッセンシャルオイルセレクションはこれ。アロマテラピー有資格者の私としては、こういう時こそ使わなくちゃね!


この手荷物

ちょっとリゾートに来ている人にしか見えまい。うふふふふ。


入院しました

本日より私のスマートフォン、通称れぐざちゃんにてお送りします。

昨日は最終仕事日だったが、あまり効率あがらず。集中力が途切れがちなので、昼ご飯はトムヤムラーメンを食べてカツを入れた。

仕事の引き継ぎを終え、家にかえると母が来ていた。夜に届くはずの郵便と宅配がギリギリになっても来ないのでハラハラするも、無事到着。写真家の友人Yくんから、撮影を担当したご本とブレンダーが届いた。うれしい。ご本はジュースの百科事典のようなもので、即荷物に組み込んだ。あとはAさんにいただいたバイオリンのブックマークとともに大量の本とねまき、洗面用具など。私は旅行でも、あまり服を持って行かないほうなので、旅行のときと荷物の量はあまりかわらない。

そして本日、バスで病院へ。受付を済ませたらまずは熱を計る。そのあと病棟の説明があり、以前記入しまたように、宗教とかアレルギーとか、いろいろ細かいことを聞かれる。

その後診察となり、若女子先生と再会。先生は、採血するといいながらも診察後にはすっかりそのことをわすれていたりと、相変わらず香ばしい。その採血は股関節の動脈からの採血で、むかしのマンガでは動脈をきるとみるみる間に大量出血死するというのが定説だったので、ちょっと怖かった。もちろんなんともなかったが。

その後、病院メシ第一弾。なすとひきにくのあえものとすきやき、小松菜のお浸し、メロンであった。メロンってところが病人ぽいね。

そんなわけで病人化した第一日目の昼下がり。眠気がおそってくるも消灯後に目がさえるのを避けるため、雪山のように眠っちゃダメを自分に言い聞かせています。

2011年7月16日土曜日

採血と麻酔科診察とその他もろもろ

本日は通院最終日。ここはもう温帯じゃないよ・・・と感じる真夏日でもあり、昼ごはんは久々にボスとみんなと一緒に黒豚のとんかつを食べにいって精をつけることにした。

午後、少し仕事をしてから病院へ。これまでよりも特に暑く感じる。時間も一番暑い時だ。

まずは採血。この前のコメントで実況中継したように、非常につっこみどころのある採血担当さんだった。この炎天下を歩いてきて、汗をかかないわけないのに、腕が少しべたついたのか、「汗?!」と言われたのはいただけない。

採血の後、麻酔科に行く。妊婦さんと二人で、DVDを見るように指示される。胃がんを患った佐藤さん(60)と、帝王切開で赤ちゃんを産む佐々木さん(35)の術前・術後の麻酔にまつわるストーリーだった。これもまた売れない役者が・・・と思ったが、最後のテロップによると看護師さん役は大学病院に所属する本物の方のようだった。

このDVDの中で、佐藤さんも佐々木さんもしきりに「針をさすときは痛いですか」と聞いていた。これが一番多い質問ですとナレーションが流れたが、私はその心配はあまりしたことがない。実は非常に注射慣れしているからであーる。小学校のとき、喘息だった私は、週に1回(金曜日)減感作療法のため、アレルゲンの注射に通っていたので、針をさすことには慣れてしまったようだ。

DVDが終わってから、麻酔科の診察となる。先生は若く、体育会系の印象。麻酔というと不安になる人が多いからだろう、ちょっと宗教チックに思えるくらい、先生はハキハキと明るく、大丈夫感をアピールしていた。

ちなみに、普通はこの説明、手術前夜に先生が入院している部屋に訪れてやるものらしい。しかし、私は日曜入院で前夜は祝日なので、例外として今やることを説明される。そうか、15日に入院しろと言われたのは、その「夜に部屋で説明する」というシチュエーションを守りたかったのではないか? と気づく。確かに、ベッドサイドで語られたほうが、この話はソフトに聞こえるかもしれない。

と思っちゃうくらいに、説明はややヘビー。まず、手術規模が最大の場合を想定して麻酔をしますと説明しながら見せられた資料には、摘出する臓器名が書いてあり、それは先日の先生の説明にあった、「悪性の場合」に該当するものだった。これで間違いないですか? と聞かれるも、いやその前提ではないですから、と答えてしまう。

麻酔科の先生によると、まずは最大の場合を想定して麻酔し、規模が縮小するとわかった時点で麻酔の規模も縮小していくそうだ。

麻酔は全身麻酔と局所麻酔の併用らしく、局所麻酔は硬膜外麻酔というものらしい。脊髄を覆う硬い膜の外側に局所麻酔薬や鎮痛薬が投与されるそう。

意識がまったくなくなるので、自分では、その手術が1時間でも5時間でも、あっという間に終わってしまうそうです。麻酔投与をやめると、15分くらいで目が覚めるらしい。

ここ。ここが私が今回、非常にブルーになっている原因なのよ。あらかじめ、自分で理解してから臓器摘出するのではなく、私の意識がないうちに病状を判断され、摘出される臓器が決まってしまうというところ。もちろん、身体の負担や緊急度を考えると、二度に分けてするなんて非効率だし危険だと思うけど、知らないうちに身体の状態が大きく変わるってのは、やっぱり悲しい。怖いとか、いやだとかではなく、単純に悲しいというのが私の今の感想だ。

説明はわかりやすかったので、質問を求められたけど特になかった。
すると、やはりここで同意サインをさせられた。
いちいち、「この説明を受けましたね」とか読み上げながらチェックされていくので、ああこうやって病院は身を守っているのだなと思う。

終わってから、会計をすませ、ちょっと休んでから外に出る。明日からは母が来るので、入院中通うのに、この炎天下を歩くではなくバスかなんかないかなーと思って検索すると、私の住んでいる駅からこの病院の前の駅まで直通バスがあるではないの! ていうか、なんで気がつかなかったんだろう。こういうの調べるのは得意なはずなのに。まあそのくらい、せっぱつまってたんだろ、私の精神状態が。

というわけで、病院を出てから仕事の引継ぎをしに、チームメンバーのところに行く。一通り説明を終えたところで、S君から紙袋を渡される。中を見ると、ポータブルDVDプレーヤーと、DVDが入っていた。DVDは、絶対あなたが見そうにないものを選びました! と言われたとおり、歴史番組の録画とか、アメリカンコメディー映画とかがあった。ブラタモリ総集編も。でも観るよ、なんか気持ちがフワーッと緩んでしまい、泣きはしなかったけど、「今病院で脅されるんで落ち込んでたのよー」と話してしまう。
私は本当に仕事仲間に恵まれていると思う。こんなに迷惑をかけてしまうのに。さらに仕事では厳しくしてるのに。ううう。

夜は金沢の友人Mさんとお食事をした。Mさんとともに、病気でハンディを持つことで、それを克服しようと色々気をつけたり研究したりして、健常な状態よりもよくなる可能性もある、という前向きな話をたくさんする。

家に帰ったら、名古屋のYちゃんから手作りのかわいいガマ口が届いていて、さらにキュンときた。

実は告白すると、表には出さないものの先日からえらく落ち込んでまして、できるだけ後ろ向きにならないようにものすごく気をつけていたところだったのだ。
このほかにも、メールをいただいたり、さりげなく笑わせてくれたり、たくさんの嬉しいことがあった。ええ、なんとかこれを乗り越えてきますとも。そして前よりも健康になりますとも。ありがとう、あさってからは入院です。

2011年7月15日金曜日

採血

これだけ何度も採血されていると、採血してくれる人にも色々いることがわかる。

おばちゃんはさすがにぬかりない。指示も的確だし、手順もあざやか。

若いおねえさんでも、保母さん的な方は歌うように指示をくれ、採血してくれる。

たまにいるのが指示をださない人。えっ、ここはギュッと握るところじゃなかったっけ?と思ってドキドキする。
あと、ありがちだったのがテープを貼るときに中途半端な長さにするので剥がれてしまったり。さらに貼り直すにあたっても同じ事を繰り返したり。

まあ、こんな風に慣れて観察されるのも、採血する人にとってはたまんないと思いますがね。

2011年7月13日水曜日

2011年7月13日(水)第三回貯血⇒なんとか完了

とまあ、実況中継のとおり、熱を測ると37.1とか37.2とか微妙な数値が出たわけです。看護師さんに「だるくないですか?」と聞かれるも、いや暑いだけですよ、と答える。採血の結果、ヘモグロビンが足りていたので、めでたく? 貯血となりました。

前と同じ貯血室に行くと、看護師男性は前回と同じ方、女性は前と別の方。この女性が、前回の「優しさで出来てます」というやわらかーい感じとはうってかわって、チャキチャキしたおねえちゃん。明るく、テキパキして、好感度も高い。
そして前と同じ若女子先生。しかし今日は、「熱あるみたいですけど風邪ひいてたりします?」など、普通に話しているではないですか!
前回は看護師の方ともまったく口をきかず、消毒などのタイミングもずれていたのですが、今日は流れるような流れ作業。若女子先生は「あ、私入院中に担当することになりますNです! よろしくお願いしますー」と、これまた好感度高く挨拶してくださった。貯血準備も丁寧な指示があり、つっこみどころがないぞ。

うーむ。憶測だが、これは若女子先生と、前の看護師女性との関係値が、その場の空気に大きく影響していたに違いない。そんなもん影響させないでほしいが。

貯血は順調に15分ほどで終わり、血圧も下がらなかった。前回と違うのは、増血剤のお注射をされたこと。くらっとも来なかったし、15分ほど寝て休んで、腕に止血の包帯をまかれて終了。

そのまま診察を待つ。持ってきた水は飲んでしまったが、用心のために緊急用のアミノバイタルも飲んでおいた。

かなり待たされたので、ああまた何か時間のかかる話があるんだろうなあと思い、診察に呼ばれる。入院の予定を確認した後、先生「ご家族の方と一度お話させていただきたいのですが・・・」

むむっ。もしやそれは、よくドラマで見るアレですか、あの本人のいないところで「実は」と本人にも話せない病状を告知するアレですか、ええっやっぱりアレ、あるんすか!?

と思ってたら、「そのときに話す話を今からしますね」とあっさり言われた。なんだよ、びっくりさせないでくださいよ、先生。

失敗したコピー用紙の裏側に、先生がボールペンで絵を書く。卵巣と子宮のあたりの絵。その下に、今回の手術の可能性をみっつ並べ、それぞれについて何をするのかを書いて説明していく。

内容は、以下のとおり。
1)良性の場合は、腫れた卵巣をとって終わり。(1.5時間くらい)
2)境界性悪性の場合は、子宮、両方の卵巣、大網(胃の下にある臓器だって。転移するとやっかいなところらしい)をとって終わり。(2.5時間くらい)
3)悪性の場合は、上記に加え、骨盤内リンパ節、傍大動脈リンパ節をとる。(7時間以上)

さらにそれぞれの場合のお腹の傷がどのようになるかも説明を受ける。3)の場合は胸の下まで切るらしい。

加えて、予測される危険性についても細かく説明を受ける。出血、感染、腸閉塞、肺塞栓、リンパ液停滞によるむくみなど。

この説明、結構怖いです。先生に「これって、必ず手術前の患者さんに話さなくちゃいけないことなんすか」と聞くと、「そうなんですよ、なので過剰に怖がることはないんですけど、説明の義務はあるんですよ」と言われ(言わせ?)、ちょっと安心しようとするも・・・

その後、最後の超音波検査を受けると画像を見た先生、「これはやっぱりやらなくちゃだめだ」と。「えっ!これに加えて何をやるんですか?」と聞くと、「いや、開腹しなきゃだめだって意味」・・・・・。先生、このタイミングで改めて言われると怖いやん・・・。

予定よりすっかり遅くなってしまったが、会計はまた1万円以上になる。持ち金が足りず、クレジットカードで払う。あら便利。いや、血は採られるわ怖いこと言われるわ金はないわでもう、どうしましょうという感じ。

帰りはまた炎天下を歩き、途中で処方箋薬局にて鉄剤をもらい、会社に戻る。数日前から村上龍の昔の、一番好きな小説を読み直している。これ、私が今まで読んだ本の中で最も好きな三部作で、ものすごい、ものすごい話。こういうときは、綺麗な話や美しい話ではなく、好きな世界観にどっぷりつかるのが良いのだ。

会社に帰って仕事してたら、S君が「今日は早めに帰ったほうがいいすよー」と気をつかってくれる。ボスには百回くらい聞かれた「入院いつからだっけ?」をまた聞かれる。「入院中、三日に一度くらい俺にメール入れてね~」と言われたので、「写真つけますか?」と聞いたら「それはいい・・・」といわれた。ふん、毎回つけてやる。

なんだか、アロマ習っておいてよかったな、なんても思った。腹にでかい傷ができたって、臓器が色々なくなったって、今まで以上に女子力蓄えてやる。アロマでオーラを磨いて(怪しい発言)、平常心保ってやる。負けないわ。ふん。

たまには実況

第3回貯血に来たが、なぜか体温が37度超えでアラートが出た。今採血検査結果待ち。どうなる私。

2011年7月12日火曜日

入院準備(髪編)

手術後、しばらくお風呂に入れないことと、退院してもしばらくは自由に歩き回ることができないかもしれないということから、今のうちに髪の毛を整えておくことにする。

いつも切ってもらうヘアメークの友人Uさんに会う。2ヶ月ぶりだけど、そんな感じがしない。Uさんとは、世代も近く、ものすごくものすごく話しがあうので、いつも盛り上がりまくる。

今日も、友人の話や怪しい健康サービスの話、芸能人の整形の話などで楽しく過ごすことができた。髪も整えてもらい、すっきり。

帰り際に、「病院に入院してる人の中に絶対面白い人がいるから、観察してきてよね~」と言われる。うん、確かにいるだろうね。主のようなおばはんやらいつまでもギャルの人やら。それは私も楽しみです。うすす。

入院準備(楽しくなること編)

私は布フェチで、首に巻いたり肩にかけたりする布をたくさん持っている。その90%は海外の市場などで購入したもので、それぞれに思い出がつまっている。
日本で手に入れたものも、柄や色に思い入れがあるものや、店員さんが素敵だったお店で買ったものが多い。服自体は結構適当に買うことが多いけど、布についてはなんとなく買っちゃったものは一つもないくらい、好き。

ということで、今、入院に連れていく布を選び中。
病院は殺風景であろうから、
好きな柄を目に着くところに置いておきたいしね。
ということで、先日一斉に洗濯して仕舞ったのに、また取り出して眺めて悩んでちらかす。ああ悩む。

がん、は隣にもいる

病気のことを人に伝えるにあたって、気づいたことがある。

「腫瘍」というと、割と軽い感じで受けられるが、それに「悪性」がつくと、人それぞれ解釈が違うもよう。

やはり人生経験の多い諸先輩や、周囲にがん患者がいたことがあるだろう方は、すぐに「悪性腫瘍」イコール「がん」であると理解する。

しかし、「悪性腫瘍」という言葉を、いきなり「がん」という表現に変えた途端に驚く方もいることがわかった。

鳥越俊太郎さんがカンブリア宮殿に出ていたときに、
「僕だってがん患者です。がん患者というと、病院で瀕死の状態になっている人を想像しがちだけど、もともと程度の差が大きいものなので、『がん』という言葉に対する抵抗感ももうなくしていくべき。今の社会ではがん患者は普通に働けるくらい医療は進歩しているし、確かに病院に行くなど健康体の人に比べて融通が利かない面もあるけれど、その人たちだって働いていける社会にしないといけない」
とおっしゃっていた。
鳥越さんは実際に、がん患者の社会復帰のための団体を取り仕切っているそうだ。

確かに、「がん」という言葉を使うと、「えっ・・・」と絶句する人も多く、それまで普通に話していたのに、それ以上病気の話に触れないようにされた方もいた。差別的な意味ではなくても、例えばオシャレレストランで美味しいランチを食べながらそんな話をするのには抵抗があることなのかもしれない。実際に、「悪性腫瘍」という言葉の時には話を続けられても、私が「がん」という言葉を使った瞬間以降、そのことを一切話題に挙げようとしない人もいる。気を使ってそうしようとしてくれる人もいるし、明らかにあまりディープな事柄に触れたくないからという感じの人もいる。

私は良性かもしれないし、境界性悪性かもしれないし、悪性、つまりがんかもしれないと言われている身。たとえ良性だったとしても、その後どうなるかはわからないし、再発して悪性化する可能性は高まるという話も聞く。

しかし、私は普通に生活し、美味しいものを食べ、おしゃべりを楽しみ、旅に出て、本や映画を楽しみ、好きな「人」や「もの」や「こと」に対して自分流のラブを注ぐ。これからだって。しょぼくれた人生なんて真っ平だ。

誰だって、がんになる可能性はあって、それをちゃんと話せる知識は持ったほうが良い。私はこの機会にそのことがわかって、よかったなと心から思っているし、話せる人にはどんどん話していきたいと思う。

あれっ。なんか良い感じで終わるぞ、この記事。まあそんな日もあるか。

入院準備(書類編)

社会保険には高額診療費を払うといくばくか戻ってくるシステムがあります。事業所の保険に入っていれば自動で適用されますが、私のように任意継続期間だと、自分で申請しなければなりません。これ、忘れがちなのでここにも書いておきます。1病院1科目1ヶ月で10万円以上払う場合はお金が戻ってくるので忘れずに!

他の書類は以下です。
・入院申込書
・身元引受書兼診療費等支払保証書
・入院されるにあたって
この3つ目のには、緊急連絡先のほか、他院診療状況、嗜好品、アレルギー、家族構成のほか、「入院することで心配なことがありますか」
⇒選択肢は仕事(学業)、家庭、経済的、精神的、その他
「信仰している宗教はありますか」
⇒選択肢ははい、いいえ
「登録しているものはありますか」
⇒尊厳死協会、臓器提供、献体
といのもあった。

何はともあれ書類の記入というのは面倒なもんですな。

入院準備(病院から指定されたこと編)

このブログはこれから同様の手術を受ける人に向けてという意味もあるので、もろもろデータも載せておこうと思います。

入院準備として病院からは以下を持ってこいや!、と言われます。
1)ゆかた又は前開きの長いもの(1~2枚)
⇒う。絶対入院中以外には着ないものを買うのか・・・(ケチ)。と思ってたら実家のかーちゃんが2枚持っているというので持ってきてもらうことであっさり解決。

2)T字帯(1枚)
3)腹帯(マジックテープ式、1~2枚)
⇒う。上記同様。と思ってたらねーちゃんが両方持ってるらしいので送ってもらうことに。

4)生理用ショーツ(1~2枚)
5)生理用ナプキン(夜用)
⇒こりゃ問題ありません。

もうまな板の上の鯉ですわ!
(↑言ってることの意味もわからなくなっている)

2011年7月6日(水)貯血第二回⇒NG!!!

さて第二回の貯血日。前回は夕方だったので帰りは涼しくなっていたが、今回は真昼間に往復することになる。そしてやっぱり真夏日。お昼誓い時間にお仕事チームとの打ち合わせをいれ、そのまま病院に行けるように段取りを組んでおいた。

お昼ごはんはしっかりと食べていかないとまずかろうと、タイカレーを食べた。結構なボリュームのを景気づけにわしわし食べる。暑いときにはやはり、暑い国の食べ物よね。

病院に着いたら時間があったので、まずは検査用の採血に向かう。ここは混んでいることが多いのだが、昼イチだったからかほとんど待っている人がいなくて、あっという間に採血は終わる。いつも試験管4本分くらい取られるのに、今回は1本だけ。時間がまだまだ余ってしまったので、病院一階のカフェで本を読んで診察の時間を待つことにする。最近の病院は、しけた食堂ではなくカフェが併設されている。検査のために朝ごはんを食べないで病院にいったときなど、重宝。少しでも楽しい気分になろうと、TRNSITの最新号を持っていき、写真の美しさにうっとりしながら時間を過ごす。

さて診察時間。診察が終わったら400ml採血が待っているので、気合を入れつつ先生に呼ばれて診察室に入る。しかし先生は、そんな私の前向きな気持ちとはうらはらに渋い顔をしながら、「ヘモグロビンの値が足りないんです。11ないと採血できないんですが、あなたは今日10でした」

惜しい!

いやいや、せっかく来たのでそこをなんとか! といいながら、あれ? 私採血されたいんだっけか??? と思わなくもなかったけれど、なんとも「負け」を感じた。だってさー、つとめてレバーも小松菜も食べたし、おやつはプルーン、鉄剤だって忘れずに飲んでるし、さっきも結構盛りの多いタイカレーを汗流しながら食べてきたというのにさ。

ということで、本日の貯血は中止。さらに、その日から鉄剤は倍の量を飲むように指示が。そんなに鉄ばっかり飲んで大丈夫なのか私。すごい元気になっちゃうんじゃないのーと思っていると、さらに先生、「15日から入院できます?」と。

無理だ。だってもともと17日からの入院前提で全部を動かしているんだもの。それをいきなり15日からなんて今の段階ではどう考えても無理。ていうか、なんで今さらそんなことを言う?

先生の言い分としては、麻酔科の先生との打ち合わせを手術前にしてほしい、ということだったけれど、それは通院でも可能なのでは? と聞いたところ、ちょっと面倒くさいような感じで「まあそれでもいいですよ」とそっけなく言われた。なんだよー、他に理由があるならはっきり言ってほしいずらよ。と、ちょっと暗澹たる気分になる。

というのも。
これはちょっと前から感じていたことなんだけど、先生から見たら
「入院(病気治療)が何よりも優先される、なので全ての予定はそれにあわせるべし」
なんだと思う。
対して私は、
「もちろん病気治療が最優先であることは承知の上。ただし仕事の責任は果たすべき。これは、単純に自分が『使えねー奴』と思われた瞬間に仕事から切り離されるし、そうすると入院費用もその後の治療費も払えず、自分も生活していけない。なので調整しながらやるしかない」
という考えを持っている。
この点、本来ならば伝えて話し合うべきことなんだと思うけれど、限られた診察時間の中では到底無理。よって、私が自己主張し、なんだか先生が納得いかないような顔して終わるというのがありがちなパターン。

うむむ。

その日はその後、入院案内の説明を聞き、肺活量の検査を受ける。手術が長時間になった場合、呼吸がどのくらい耐えられるかをあらかじめ見ておくそうだ。肺活量検査の担当のおばちゃんは、しゃべりがお笑い芸人のようで楽しかったが、肺活量の検査中に笑ってしまいそうになり困った。

帰り道はまた、駅まで炎天下をえんえんと歩き、電車が故障でゆっくり運転だったので、チームのS君に「採血できなかったよ~」とメールをする。「まだ前回から一週間しかたってないので仕方ないっすよ!」と体育会系の返事をもらってちょっと気持ちが平坦になるも、いろいろな意味で「駄目人間」といわれたような気持ちになっていることに気づく。私は、近年めったにそんな風に思うことはないし、人に理解されなかったり理解できなかったりしても、娘さんの時のように落ち込むことはなくなっているので、珍しいなあと思う。理由はおそらく、がんばって血を増やしたつもりがまったく足りていなかったこと、やはりいきなり入院日をずらせと言われて先生と意思疎通が図れなかったことの二つだと思う。いかんね、人は鉄分が足りないと面倒くさい性質になるもんだね。

またその翌日からは、好きな人たちと話したり、ボスと話したりしながらだんだん普通(というか普通よりも良い感じ)になっていった。そして鉄剤を倍の量飲みながら、来週の貯血では負けませんよ、と意味不明の誓いをして過ごすことにした。

今日の教訓としては、人間は鉄が足りないとくさくさする。ということでした。

2011年7月5日火曜日

入院準備(今できること編)

入院まであまり日にちがないので、そろそろ準備をしなければなるまい。
・まず、冬物衣料を一気に洗濯した。いつの間にか夏だったもんで。
・見えないところを掃除した。洗面台の下とか、排水溝とか。外側は、趣味に生きている私のこと、ある程度ちらかっているほうが私らしいのでそのまま、入院直前に片付ける。
・入院中読む本のセレクト。色々な方が本を貸してくれるのだけど、面白いものはまだ入院していないのについ読んじゃった。なのでそれを返すためにまとめておく(安野モヨコ「働きマン」面白かったです)。旅行関係で気になる本はためておくことにする。妄想トリップできるように。
・iPodの音楽を整理。本を読む気になれないときの景気付け。Kylie minogueを初めとしたちょっと懐かしいラインナップを整備。それにしても昔からのお気に入りであるトンプソン・ツインズのHold me nowってあらためてすごく良い曲ですね(←脱線して聴き入ってる)
・仕事面では、私の不在でも困らないようにある程度の簡易マニュアルを作っておく。
・とはいえ、いざというときセキュアな環境でアクセスができるように、会社のパソコンを借りてリモートデスクトップの設定もしておく。こういう複雑なシステム設定って意外と好き。やっているときはモヤモヤするけど、疎通した時の快感は、えんえんとトンネルを掘っている工事の人が向こう側にたどり着いた時の感動と共通している思う。

ここまでやって、夏休みの旅行前の準備とほぼ同じであることに気づく。まあある意味旅行ではありますな。

貯血に持参したお菓子

献血の場合にはお菓子やジュースがもらえるらしいが、ここは病院なのでもらえない。当たり前。

しかし400mlも血を失うのだから、その分楽しいことやっとかなくちゃ!

ではなく、甘いものでも食べて栄養補給しなくちゃ!

ということで、今回、持参したのはKIHACHIカフェの「グレープフルーツとヨーグルトのマフィン」。3分くらい迷って、1個だけ残っていたそれを購入して持ってきた。
採血後の診察を待っている間に待合室でこっそり食べる。

いんや~、激ウマでした。これで採血のことも許したるわ!

2011年6月29日(水) 貯血第一回目

今どきの手術は、自己血輸血というシステムがあるらしい。
手術中に輸血が必要が必要になることを想定して、
手術前に少しずつ、採血して血を貯めておくそうだ。
その血を輸血することで、感染症や免疫低下の恐れがなくなるそうだ。
私は貧血気味なので、鉄剤を処方され、毎週400mlずつ、三回にわたって採血することになった。

ちょっと待て。400mlって、小さいペットボトル約1本分じゃん。
献血だって200ml、成分献血は400mlだけど血を返してくれるんでしょ。
しかも一週間に一度って何。
ていうか、私輸血が必要な手術になる可能性が高いのか?!

なんて思っていながらも、人生の初体験というのはどこかわくわくするもので
貯血やったろうじゃんという気持ちにもなった。

まずはDVDを渡され、自宅で観てくるように言われた。
まあ、どのように採血するかの実演ビデオだったのですが、
売れない役者さんってこういうのに出て日給5000円くらいだったりするのかしら
と思いながら観てた。看護師さん役の女性が、なんていうか元ヤンキーっぽい感じで
それがまたリアルだった。
という感じで、不安解消にも理解促進にもならなかったというわけです。

私は献血処女。貧血と低血圧を理由に、献血に貢献したことはない。
ということで、初体験ではありますが、
処方された鉄剤を飲んで、大量採血をするという
自転車操業期間に突入しました。

説明DVDを貸し出されたり、同意書にサインをするなど、かなり大掛かりな様子。
途中で貧血が悪化したら採血はできない、という話を聞き、
早速、B型(私と同じ)の人とO型(何型にも輸血できるらしい)の人の電話番号を控えておくようにするわ私、と言ったら、仕事のチームメンバーに「マ、マジすか・・・」とドン引きされた。
ボスもO型なので、
「万が一のときには私に輸血してください。外で献血して赤の他人に行くより私の中でボスの血が生きたほうがきっと気分いいですよ!」と言ったら「気持ち悪いこと言うな・・・」と言われました。
いや、冗談ですから。そんな冗談でも言ってないとやってられませんて。

ということで、外を歩くだけで熱中症になりそうなこの真夏、何の我慢大会なのか週一回の大量採血に通うとは。案の定、第一回目当日は、6月なのに30度を超える真夏日。採血前なのに倒れそうになりながら病院に行く。

貯血は、看護師ではなく医師が担当しなければならないらしい。
とうので、看護師(女性と男性)が準備してくれたあと、横になって待っていると、
パタンと扉をあけ、すごい勢いで茶髪ロングの若い女性が入ってきた。
その方が、貯血担当のお医者さんだった。

ずいぶん若いお医者さんだなーと思っていたら、いきなり、
「どっちとか、あります?」

えー、どっちって何が?!どっち「とか」って何?!

いや、よく考えれば、左右どちらの腕から採血したいですか?と聞いてるんだと
わかりますけどね。でもでも、わからない人はわからないよ。

そしてその若女子先生は私の腕を消毒し、針を刺した後、スポンジのようなものを渡し
「10秒に一回くらいで」

えーっ、10秒に1回、何すればいいのーっ。

いや、よく考えれば、スポンジを握れってことだと思いますけどね。
でもでもでも、わからない人には・・・。

私は常日頃、仕事上で、自分よりも年下の人たちには、
「主語、述語をつけないと何を聞いてるのかわからない」
「そこで誤解が生まれるから、言葉づかいはしっかりと!」
と啓蒙し続けているのですが、
お医者さんになる勉強には、それが入っていなかったのでしょう・・・

という、つっこみどころ満載の若いお医者さんに比べ、
看護師(女性)のやさしかったこと。美人だけど化粧っけのない、
ちょっと疲れた感じの優しい瞳。ソフトな声で「具合大丈夫です?」と聞かれると
嫁にもらうならこっちだよなー、なんて男目線で考えてしまう私。

あ、貯血の話でした。
そちらのほうは、15分程度で400mlが無事捕獲され、
目の前に「これだけお預かりしました!」と血のパックを見せられ、
そのあと15分くらい休んでから起き上がりましたが、
特になんともなかったです。
炎天下を歩いてきた時のほうがつらかった感じ。

もちろん、そのあとの診察を待っている間、持参した水とお菓子を食べ、
ゆっくりしてから帰りました。家についても特にハードな運動などはせず、
夜10時頃には眠くなって寝てしまったので、特に問題なしです。

と、思ったら。
その二日後くらいにはまんまと風邪をひき、立ちくらみが激しくなった。
まあ気温も安定しなかったので、そのせいもあると思うけど
ちょっと抵抗力がなくなったのかもしれない。

というわけで、現在は二回目の貯血に備えて、鋭意鉄剤補給中でございます。
次もあの若女子先生、つっこみどころ満載の指示を期待しています!

肝臓異常なし、そして自己血輸血のこと

肝臓に影があるという怖いことを言われ、超音波検査を受けた。
先生が久々に、肝臓は問題なかったよ! とすっきりした言い方をした。
心からほっとした。

そしてその日、鉄剤が処方された。
来週から毎週水曜日、3回にわたり、400mlの採血をするらしい。

なぬ?! 400mlも?!!
つづく。

仕事どうする?

病気になってから、仕事のことをよく考えるようになった。

今はまだ、自分で挽回できる程度の休みしかとってないけど、入院後は正直どうなるかわからない。
もし最悪の場合(がんが転移していた場合)は、抗がん治療をすることになるし、そうなると仕事は?とか。

いや、身体あってのことだから仕事のことなんて今どうでもいいでしょう!
というのは、何か支えがある人の言葉だと思う。
私は私が稼げなくなったら、即飢え死にですから。

仕事を失わないように、ちょっとだけ無理しながら、病気と闘う必要がある。
けれど反面、生命の危険が迫っているのに、仕事に無理しちゃあかんやろ、という声も自分の中から聞こえる。
もしあと半年の命と言われたら、本当に一人で好きなところに旅行に行ったりすんのか?
他の人に迷惑をかけないように、ちゃんと仕事をおさめるところにおさめていかないといかんやろ、という気持ちも強い。

今の仕事はちょっとハードすぎるから、どこかで職種を変えておこないとまずいのでは?
他の業種でやりたいことは?
今の仕事も好きなんだから、他のアプローチで無理せずできるやる方があるのでは?

仕事をするのは何のため?
そんなにお金って必要なの?
けど、お金がないと、闘病もできないよ。

病気になってから、これからの仕事のことをよく考える。まだ結論はでない。

楽しいことを考えるために、友達と

SNSに関係するけれど、もうひとつ。

楽しいことを積極的に取り入れるために、できるだけ友達と会っている。
話してる。お茶してる。ごはん食べてる。笑ってる。
いつも辛口の会話を楽しめる大人なAさん。
美味しいものを一緒にたべるTちゃん、Kさん。
お姐さん的存在のクライアント担当者、Aさん。
お仕事チームの男子たち&TAちゃん。
ボスとゆかいな仲間たち。
金沢Mさん。
うちの家族の人たち。
新米ママKちゃん。
姐トリオメンバー。

さらに、
一緒に作品を作ってる仙台のKちゃん。
いつもつながっている存在名古屋のYちゃん。
チームEのみんな。

孤独好きの私が、孤独に飲み込まれないのは、あなたたちのおかげです。
ありがとう。

楽しいことを考えるために、Facebook

はっきり正直に言ってしまうと、私はSNSにグチを書くのがキライだ。または書く人が不快だ。
「また終電逃した!キー」なんて自虐的に書くのはかわいくてよろし。
それではなく、結構具体的に(でも、なんとなくぼやかしながら)今の自分を被害者的位置において「あれが気に入らない」とか「なんでこうなの?」とか「いいかげんにしてもらいたい」とか書く人が、ダメ。わざわざ「友達」との場であるSNSに書かず、自分のブログにでも書けばいいのに。

書きたくなる気持ちは十分わかる。
けれど、SNSに書いても何にもならないし、不特定多数に読んでもらって同情を得たいならそれは気持ち悪い。もしくはそこまで考える能力がないことを露呈しているのも悲しい。不満や不安は、客観的に分析して解決法をつきつめていかないと、絶対に逃れられるものではない。それはつらい作業だけど自分でやらなくちゃいけないことで、SNSでつぶやいてごまかしている人は、それをやる勇気がなく他者に依存しようとしているところが、私の指針から大きく外れる。

というわけでSNS。○○なう、だけ日々ツイートするようなマメさのない私は、今回Facebookにものすごく書き込みをしている。たとえば診察を待っている時間。診察でショッキングなことを言われた帰りの電車の中。家に帰って一人になって「ああ私どうしよう病気になっちゃったよ~」と頭を抱えるそのとき。
これまで行った旅先でのエピソード、これから行きたい場所のこと、今考えている旅にまつわること、旅だけではなく、好きなもののこと、面白い思いつき、などなど。書いてるうちに、自然にオチもつく。それらを限られた文字数のFacebookにつぶやくことにした。

そうすると、文章をまとめているうちに涙は止まり、なんとなく気持ちのぐらつきもおさまるのである。インドはこうだった、チベットはああだった、私がどれだけ何が好きか、などなど、つとめて前向きなこと、つとめて希望的なことを、できるだけ気持ちを集中させて指先を動かして他人に読んでもらう形にする。これがなんとも言えず、精神安定剤になる。

楽しいことを考えたり、笑ったりすると、ナチュラルキラー細胞が増えて、免疫が上がるそうですが、私がFacebookでやっているのはなさに、ナチュラルキラー細胞量産大作戦。

というわけで、私のFacebookを目にしたみなさま、「うぜー」と思ったらスルーしてください。
そしてついSNSにグチを書いてしまうあなた、ぜひこの方法試してみてください。前向きに歩いていく気持ちになれること、請け合いです。

そういえば、思い当たること

3月に震災があったので、その後、震災ストレスかなーと思いながらも、
今よく考えてみると、確実に体力が落ちてきていた。

・土日にくたばっていることが多くなった。
・朝、まったく起きれない。
・夜、眠くて仕方ない。
・日中もだるくてしょうがない。家に帰るとぐったり。
・横になるとお腹が重い。
など。

どこからが何が原因なのかさっぱりわからないけれど、
どれかはこの病気につながることだったんでしょうね。

ある人の反応について

私の友達、仕事仲間はみんな、前述のとおりすてきな人ばかりである。

しかし、中にはこんな人(男性)も。

どうしても打ち明ける必要があったため、私が病気の事実をメールで伝えると、こんな返事が。

「40歳代の離婚した女性、独身の女性でよく聞く話ですね」と。

残念ながら、離婚も独身も関係ない。事実、子供が二人いるうちの姉も、卵巣のう腫はやっている。子持ちの友達も同じく。子供を生んでいない分だけ子宮系の病気はかかりやすいというが、それをあえて、この場で持ち出す必要があるのだろうか?

つまりその人は、離婚したり独身だったりする40代の女性は性行為から離れているから病気にかかりやすい、と言いたかったのだと思う。

残念ながらそんなことはありません~
今日び、40代の離婚した女性も独身女性も、あなたが思うほど清純な生活は送っていませんです。
人は気がつかないうちに差別発言をしているものだ。
私も気をつけよっと。

会社のSさんとの話

会社で事務や管理を担当してくれているsさんに、入院予定について打ち明けると、「あ、なんとなく聞こえてた」とのこと。
なんと、Sさんも同種の検査にひっかかって同じ病院を紹介され、なんと偶然、先生も同じだった!こんなことってあるのねー。

sさんに、入院中のあれこれをお願いするかも、と言ったところ、「あーそれは大丈夫、やっておくからー」とさくっと言ってくれた。面倒なことを押し付けてしまうというのに。

私の仕事仲間はみんなすばらしい人ばかりだ。

ボスとの調整

入院日が変わったことで、ボスと再調整をする。
「悪性の可能性が出てしまった」と言ったとき、いつもヘラヘラなボスが一瞬真顔になり「入院は最長で何日間? 14日? じゃあ最初から14日前提で用意しよう」と。
こういうところがこのボスのすごいところ。即時に判断を下し、動き出す。その後、今後の話をしているときにも、「だから早く治してきて」とさらっと言われた。

んもう、ボス、ラブですわ。

金沢のMさんとの話と野菜ジュース

そんな予定変更が発生する中、金沢から友達がやってきた。
Mさんは糖尿病の治療を受けていて、月一回東京に診察のためやってくる。
自分の病気と正面から向き合うMさんの話はとても興味深い。自分で調べられる限りを調べつくし、納得のいく治療法を自分で選択している。病気を客観的にとらえ、やすやすと権威を信用することなく、自ら知識を身につけることで、「選ぶ」治療を続けている。

彼女と話して、よし私も! と思い、翌日本屋に出かけてみる。
今までスルーしていた「がん」関連の書籍。
同じような人がたくさんの本を出していたり、タイトルもどれも似たような感じで、一体どれを選べばよいのか、さっぱりわからない。

いくつかチラ読みしつつ、食事療法のものと、漢方の本を買ってみる。

ところがですよ。
ぱらぱらめくっていただけで、その二冊にもまったく逆のことが書いてあったりするではありませんですか。たとえば片方は玄米礼賛、もう片方は玄米は薦めないと。
ということで、そこは「おれルール」を採用することとする。自分が好きだったり、やりやすかったりするもののみ採用するという「おれルール」。果たしてそれが効くのかどうかはこの際置いておいて、あまり無理しても仕方ないもんね~と早くも「自分に甘いモード」に突入することに。

一点、共通しているのは、生野菜をたくさん食べる、というもの。これは酵素がそのまま取れるから健康に良いと効いたことがあるし、すっかり曲がってしまったお肌にもよさそう。うちにはセゾンポイントでもらったミキサーもあるし、早速ここから始めたるわ!

ということで、翌朝、オレンジとバナナ、にんじん、キャベツなどを刻んでミキサーに入れてまわしてみました。しかし、所詮ポイントでもらったただミキサー。どうにもこうにも裁断力が弱く、何分まわしてもどろどろの離乳食状態にしかなりません。

仕方なく、それをスプーンで食べる私。なんかイメージ違う・・・

というわけで、健康法を実践するのも楽じゃない、という結論に至りました。

CT検査、心電図、血液検査

続けて、CTスキャン、心電図、再度の血液検査を受けた。
CTスキャンは着替えもせず、MRIよりも気軽な検査に思えた。

ところが。

その結果をもって翌日再度診察があり、予定ではそこで手術の方針など打ち合わせすることになっていたのですが。
またもや予約時間から2時間以上待たされ
(明らかに私よりも後の予約の人たちがどんどん呼ばれる)
またきっと、他の先生と会議してはるのかしら、ということは芳しくない話かしら・・・と悪い予感が頭をかすめる。

私の今までの人生で、そういった予感は外れる傾向にあるのですが
今回はばっちり当たってしまいました。
診察室に呼ばれて入ると、先生のうかない顔。
「CTの結果もちょっとあまり良くありませんでした。やっぱり白いのがいくつも映っているんですよ・・」と。
おまけに、卵巣だけではなくリンパや肝臓にもちょっとした所見があるらしく。

なぬ?!

この前まで「内視鏡で大丈夫ですよ」と言ってくれてた先生の口から
「これは開腹手術にしていただいたほうが良いです・・」と。

開腹手術になった場合の可能性の説明がなされた。
本当になんともなく、良性の腫瘍だった場合は「内視鏡でよかったじゃんバカー」と思われるかもしれないし、その可能性も十分ある。
ただ、悪性だった場合には、すぐにその手術に切り替えられるし、転移が見られる場合は子宮なども摘出する。またリンパに転移していた場合はその部分も摘出する大手術になる。その場合は7時間くらいの、本当に大変な手術になると。

なんか、大それたことになっていませんか?
ていうか、昔はガンの疑いがあると、本人のいないところで家族とかに話して、本人に告知するかどうかを家族会議とかで決めていたシーンがドラマでよくあったものだ。一人暮らしをするようになってから、もしああいうシーンで本人しか病院に行かない場合はどうするんだろう
?と思ってた。わざわざ「家族の人に来てもらってください」と言われたりするのかしら。いや、それじゃあもう告知しているようなもんでしょう。
なんて考えていたことがあったけれど、そうか、こんな感じで本人にさらっと伝えられるのかー。発見!!

なんて感心している場合ではなく、最初内視鏡と言っていたのに開腹に切り替えられたというところが相当不安である。先生も何か言い憎そう。また、CTの写真を見せられるとその横に放射線専門医の所見が書いてあるのだが、「○○が見られる」だの「××の疑いがある」だの、不安になるようなことが山ほど書いてあるのだ。
ていうか、それを患者本人にちゃらっと見せてしまうわけなのねー、というところも興味深々である。

というわけで、ですよ。
6月末の手術予定日だと、大手術に切り替わったときに時間がとれないらしく、あらためて仕切りなおしで7月後半の入院に変更になりました。

ああボスに言い直さなくちゃ。メンバーにも。母にも。スケジュール変更の調整に目がくらみそうになりながらも、私ひょっとしてガンかも、という不安が少しずつこみあげてきて、途方に暮れる帰り道でした。

2011年7月4日月曜日

ボスと仕事仲間への相談

入院の日程が決まったその日、ボスを会議室に呼び出して予定を伝えた。
ボスとは長いつきあいなので、腫瘍がある話はなんとなく昔からしていた。
手術になりそうだということも、早めに伝えていたので
驚きもなく、じゃあその期間、チームでフォローできるように早めにみんなに伝えておいてねと言われた。

私はフリーランス契約で働いているので、非常にあやうい立場だ。
病気で会社にこれなくなっても、守ってもらえるものはない。
いつカットされてもおかしくない身。
しかしカットされない方法がある。それは、この人がいないとまずいと思ってもらえることだ。

話がそれるが、私は人から必要とされることが苦手だ。
過去、私を必要だと言った人は、だいたい私の「できること」に依存して、
私の自由を奪う傾向があったからだ。
誤解を恐れず言えば、私が「できること」必要としている人は、
他のことがたくさん出来る有能な人が多い。
そして、その人たちは、私の「できること」とそれを合致させてイケイケドンドンする。
なので、非常に面倒くさい。いきなり利害関係になだれ込んだりする。
なので、私は、人に必要とされるなんて、そんな不自由なこと真っ平だと思っている。
しかしそんな私が今、「私って役に立つでしょう~」と声高に叫ぶかのごとく、
仕事を手放さないように「必要とされる人間」になろうと必死になっているなんて、
世の中皮肉なものです。

そしてチームのメンバーに伝える。一番つきあいの古いS君には直接、
その後M君、K君にはメールを出す。
M君もK君も「大丈夫です!」と即返事を返してくれる。涙。

という感じで着々と準備を進める日々だった。

血液検査とMRI

二回目の通院はMRIだけ受けて終わり。
三回目は診察で採血とMRIの結果を教えてもらいに行った。

9時の予約なのに、11時半になっても呼ばれない。
持ってきた新聞は読んでしまったので、Facebookに旅の妄想を送り続ける。
13時に来客の予定が入っていたので、受付のおねえさんに聞くも、
「先生には言ったんですけれど・・」と埒が明かない。
12時近くなって、ようやく呼ばれた。

遅くなったのは、他の先生と私の検査結果について会議をしていたらしい。
「前の病院からいただいた所見よりも、あなたの検査結果が派手で・・」とのこと。
卵巣が腫れているには腫れているけれど、中に白い影がいくつも映っていて
それが悪性腫瘍とは言い切れないものの、単なる卵巣のう腫ではないらしい。

まじですか。

とはいえ、疑いがあるという程度なので、それほど心配する必要はないと。
私は、身体の負担が少なく入院日数も短い内視鏡での手術を希望していて、
先生いわく、現在の日本では、少しでも悪性の疑いがあると
内視鏡では開腹手術をするらしい。
ただ、私の先生は内視鏡の専門医らしく、「それはあくまで一般論で、
僕は内視鏡手術でも大丈夫だと思う。もちろん万が一悪性だった場合には
あらためて開腹手術をする必要があるけれど、最初は内視鏡で摘出して、
それを検査したほうが良い」とのこと。

まじですか。では内視鏡でやるっす!

先生は手書きの台帳のようなものを取り出して、手術の空き日を確認し
日程を決めてくれた。いまどきカルテなどはすべてオンラインになっているのに
手術の日程表だけは昔の手書き台帳のままというのがおかしかった。

なんて言ってる余裕があったわけです。
なんたって、6月末に5泊6日の入院ですむらしかったわけですから。

2011年7月2日土曜日

紹介された病院での初診察

それまで通っていた小さなクリニックから紹介された病院は
どでかい総合病院。駅から15分歩くのがちょっと遠いけれど、
緑多き公園の近くなので、静かで環境はよかろう。

紹介状を持って受付し、予約時間から2時間くらい待って診察。
先生は思ったよりも若く、ハキハキして感じが良い。
超音波で内診しましょうと言ったけれど、さっと見るだけで終わった。
それまでのクリニックでは、超音波診察がメインだったので
「え?先生今のでわかったんすか?」って感じ。
まあ、クリニックから大量の過去データが送られていたので
それと同じくらいね、という認識あわせだけだったのかもしれない。

そのあと採血をして、MRIの予約を入れて、初日診察は終わり。
内視鏡の手術で大丈夫でしょう、と言われたので
「ふふふ、想定どおり」と安心していた。
なんていうか、体験手術くらいの気安さで考えていたのでした。

2011年6月19日日曜日

はじめに

この夏、卵巣切除を行うことになりそうです。
ずっとずっと長い間、卵巣にあったのう腫が大きくなったため
「そろそろ手術だね~」という、軽い感じで
それまで通っていたクリニックから大きな病院に移されたのですが、
検査を進めてみると、悪性の疑いが高くなってきたとのことで
前提としていた内視鏡から、開腹手術へと移行することになりました。

悪性って、がんジャン。
がーん。なんてよく昔言ったっけなぁ。

とうとう来ちゃったか、という気持ちと、
私に限ってないな、という気持ちと、
本当にがんだったら、私どうする? という気持ちがないまぜになったまま
検索してみると、出てくるわ出てくるわ、役立つ闘病記。
悪性じゃなかった人も、境界性だった人も、悪性だった人も
細かく細かく記録を残してくれているので、非常に参考になりました。

私だってITの人じゃん。

ということで、記録を残してみることにしました。
私は昨年から、フリーランスとして、信頼していただいた方との
お仕事を続けているので、その責任は果たしていかねばなりません。
また、ソーシャルネットワーキングサービス(Facebookやtwitterなど)のうまい使い方、
仕事のスタンス(一概に休めといわれても、ね)、
食事の見直し、運動など、あらゆることを考えなければならなくなりました。
そのあたりも整理できたらな、と思っています。

ということで、
私がたくさんの人のブログを参考にさせていただいたように、
これを目にされた方の何かの参考になれますように!

そして私自身が、この病気をきっかけに、またいくつもの新しい力を
得ることができますように!