病気のことを人に伝えるにあたって、気づいたことがある。
「腫瘍」というと、割と軽い感じで受けられるが、それに「悪性」がつくと、人それぞれ解釈が違うもよう。
やはり人生経験の多い諸先輩や、周囲にがん患者がいたことがあるだろう方は、すぐに「悪性腫瘍」イコール「がん」であると理解する。
しかし、「悪性腫瘍」という言葉を、いきなり「がん」という表現に変えた途端に驚く方もいることがわかった。
鳥越俊太郎さんがカンブリア宮殿に出ていたときに、
「僕だってがん患者です。がん患者というと、病院で瀕死の状態になっている人を想像しがちだけど、もともと程度の差が大きいものなので、『がん』という言葉に対する抵抗感ももうなくしていくべき。今の社会ではがん患者は普通に働けるくらい医療は進歩しているし、確かに病院に行くなど健康体の人に比べて融通が利かない面もあるけれど、その人たちだって働いていける社会にしないといけない」
とおっしゃっていた。
鳥越さんは実際に、がん患者の社会復帰のための団体を取り仕切っているそうだ。
確かに、「がん」という言葉を使うと、「えっ・・・」と絶句する人も多く、それまで普通に話していたのに、それ以上病気の話に触れないようにされた方もいた。差別的な意味ではなくても、例えばオシャレレストランで美味しいランチを食べながらそんな話をするのには抵抗があることなのかもしれない。実際に、「悪性腫瘍」という言葉の時には話を続けられても、私が「がん」という言葉を使った瞬間以降、そのことを一切話題に挙げようとしない人もいる。気を使ってそうしようとしてくれる人もいるし、明らかにあまりディープな事柄に触れたくないからという感じの人もいる。
私は良性かもしれないし、境界性悪性かもしれないし、悪性、つまりがんかもしれないと言われている身。たとえ良性だったとしても、その後どうなるかはわからないし、再発して悪性化する可能性は高まるという話も聞く。
しかし、私は普通に生活し、美味しいものを食べ、おしゃべりを楽しみ、旅に出て、本や映画を楽しみ、好きな「人」や「もの」や「こと」に対して自分流のラブを注ぐ。これからだって。しょぼくれた人生なんて真っ平だ。
誰だって、がんになる可能性はあって、それをちゃんと話せる知識は持ったほうが良い。私はこの機会にそのことがわかって、よかったなと心から思っているし、話せる人にはどんどん話していきたいと思う。
あれっ。なんか良い感じで終わるぞ、この記事。まあそんな日もあるか。
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