2011年8月13日土曜日

できるようになったこと、まだできないこと

できるようになったこと
・前よりも早めに歩けるようになった
・前よりも長く人と話せるようになった
・ごはんは通常の半分~2/3は食べられるようになった
・昼間疲れて思わず横になってしまうことがなくなった
・腹痛が治まってきた、痛み止めを飲まなくても耐えられるくらい

まだできないこと
・走ること
・無防備なくしゃみ、咳
・完食
・重いものを持つこと
・湯船につかること
・クッションなしで横になること(腹に当てて支えにする)
・おなかを押さえないで人の多いところを歩いたりすること

もうしないこと
・夜更かし
・不規則な食事
・無駄な気遣い
・無理なこと

これからすること
・規則正しい生活
・アロマテラピーの学習
・好きなことをたくさん

2011年8月12日金曜日

配慮

しばらく土日は自宅勤務でよいと許可いただく。サンキューボス。

激務癖のついてる人にこの病気の話をして脅してみたが、なんだか的を得ない反応というか、言ってはいけない風味の冗談を言われ、もうこの人には何も言うまいと思ってしまった。お節介するもんではない。

暑いので腹帯をタオルにかえたら腹は痛むは血はでるわ。冷房のきいてるところで腹帯をすることにしたらあっさりおさまった。

規則正しい生活は、母のおかげで続行中。来週から一人だからがんばった続けねば。

2011年8月8日月曜日

2011年8月5日(水)精密検査の結果発表

一年前の8月5日、長いつきあいの友達を亡くしました。
彼の命日に、お墓参りに行きたかったのですが、この状態ではままならず、しかも今年のこの日、何の因果か、精密検査の結果を聞きに行く日になっていました。

手術では、まず腫れている左の卵巣を摘出。
それを病理検査に出し、結果により手術の方針を決めるやり方。
私の場合、その結果が既に「境界悪性」だったので、そのまま子宮と右卵巣、大網を摘出しました。
しかし、その結果というのは70%の確率での回答なのだそう。もちろん、残りの30%が良性という判断になることはなく、悪性の可能性があり、術後の病理組織診断で悪性と判明した場合には、再手術または化学療法と言われていました。

ちなみに、境界悪性と悪性の違いについて。
腫瘍自体は「悪性」と共通なのですが、悪性の場合は、それが細胞にまで浸潤してしまっている状態だそう。または転移なども。
境界悪性の場合は、浸潤せずに、悪性腫瘍が上皮の上にとどまっている状態を言うんですって。
つまり、境界悪性の場合は、今取っておかないとマズいことになっていたというわけです。

で、病理組織診断の結果ですが、浸潤や転移は見られなかったです!
つまり、再手術や化学療法の必要はないということ。
ブラボー!!!

境界悪性腫瘍については、Ib期というステージで、詳しい診断結果表をいただきました。
左卵巣腫瘍は「境界悪性漿液性腫瘍」ってやつ。

そして驚くことに、「右は異常ないですね」「右はきれいですね」と言われ続けてきたのに、いざ病理検査をしみたら、右卵巣も境界悪性腫瘍であったことが判明! 
こちらは「境界悪性類内膜腫瘍」ってやつでした。

子宮は腫瘍はなかったのですが、頚部に慢性炎症があり、ナボット嚢胞があるらしく。こちらは数年前に頚がんの検査にひっかかっているのですが、今回は異型性は見られず。

大網には転移などありませんでした!

というわけで。無駄死ではなかったか、と思っていた右卵巣も、大変な目にあっていたことが判明。

また、腹水もたまっていたそうです。

私は自覚症状まったくなかったし、多少だるい、疲れやすいのは貧血のせいだと思っていた。左わき腹が重かったけど、歩いたり走ったりするのに支障が出るほどでもないし、本当に「沈黙の臓器」ってあるんだな、と思います。私がもし、検査に通い続けてなかったら、気がつかないで悪性腫瘍になって進行して・・・と思うとぞっとする。

今後については、再発するとしたら腹膜なので、その経過観察をしていくことに。
5年間は無理できない人になってしまったわけです。

化学療法を受けている人たちをたくさん病院で見たので、現実感を持ってしまっていましたし、再手術となったら、またあのつらい目にあうなんて、それだけで病気になってしまいそうな気がしてました。

同じような闘病経験のある人と話すと、「仕事や生活を見直す良いきっかけになった」と言います。本当にそうだと思います。もう夜更かしも無理もしませんからねー。

というわけで、いまだ腹痛やもろもろあり、食欲もなく、普通の状態とはいえませんが、先週に比べたら本当に人間らしくなっています。

生活や仕事の見直しや工夫について、今後さらに考えていきたいと思います。
とりあえずは、よかったべ。

2011年8月4日木曜日

赤坂往復

昨日より、超短時間のお試し勤務中。座れる電車なのでラク。ひとまず順調だが、いつもぺろっと食べていたランチが半分しか食べられなくなっている衝撃。

2011年8月3日水曜日

花のある生活

いまの季節、結構足が早いので、写真に残しておく。M子から届いたお花。


二子玉川往復

ちょうどよい散歩コースであり、アロマテラピーの材料を調達できてよい。
私の病は今後、ホルモンバランスが崩れがちになるのが課題。
関節障害や口や鼻などの粘膜が乾いたり、のぼせ、肩こり、不安感などなど、いわゆる「調子が悪い」という厄介な状態になりがちだとか。
アロマテラピー試験受けておいて良かった。勉強してて良かった。
症状予防のため、いろんなスプレーを作っておく。ついでにリップクリームのキットも仕入れたので作ってみる予定。
おまけでハーブティーもらっちゃって満足。

2011年8月1日月曜日

手術のこと

やっとパソコンにむかえるようになりました。
手術前後のことを忘れないうちに。

手術日は朝から絶食、朝の浣腸後、手術着に着替える。前日より麻酔科からもらった胃薬を飲む。

研修医の男性に、点滴の針をさしてもらう。その後、手術着に着替えると点滴装着。

手術後一日過ごす回復室にベッド移動。私自身は点滴をガラガラひっぱって歩いていく。ベッドと戸棚と荷物は看護師さんたちが運んでくれる。

手術の時間となり、ストレッチャーが運ばれてくる。それに寝て、ガラガラと手術室まで運ばれる。

手術室の手前に家族控え室がある。うちの母はあっさりしているので、特に励ましの言葉もなく、控え室に行く。分厚い本を持って。

私はそのまま手術室に運ばれる。麻酔科の医師(説明した人とは違う人、男女1名ずつ)が元気よく挨拶。看護師さんも挨拶。なんだか宗教のように明るい挨拶だった。

手術用のベッドに移動する。頭にシャワーキャップみたいなのをかぶせられ、足に血栓防止のポンプがつけられる。心電図や、色々な管がつけられる。

まず背中に痛み止めの注射をする。その後、背中に部分麻酔の注射。痛み止めを入れているので麻酔注射は痛くないが、太い針が入っていくのがわかる。

その後、酸素マスクがつけられ、点滴に麻酔が装着される。目をあけていたが、数秒で意識がなくなる。

次に気がついたときには手術が終わってた。名前を呼ばれて目を覚ました途端に激痛が!!!!
全身麻酔が切れても部分麻酔が効いてるから痛くないって言ってたのに!!! 痛いじゃん!!!!!

それから、トイレにも行きたい感じがしたので、それを訴えると、「お小水のカテーテルが入っているからそんな感じがするんですよ」と。

部屋に運ばれ、痛み止めの筋肉注射をされる。部屋についたとたん、また酸素マスクを入れられる。足はポンプをつけたまま、汗が噴出してくるも身体を動かすこともできなかった。

一時間ごとに熱と血圧と血中酸素を測られる。血圧は70台まで下がり、熱は38度前後。38.5度以上が続かない限り、解熱剤は入れないそう。傷を治すための熱だからなのだそうだ。

時間がわからないので母に聞くと、15時近かった。こりゃー、良性の手術ではなかったなと思い、母に聞くと「境界悪性だったよ」と。母は切り取った私の臓器も見せられたそうで、片方の卵巣は湿疹みたいなぶつぶつだらけだったそうだ。

そこで両方の卵巣と子宮と大網を摘出したことを知る。

その後は一晩中、一時間おきに看護師さんがきて熱や血圧などを測ってくれていた。
ありがとうございます。

翌日も熱は下がらず、血圧も上がらず、自己血を点滴で輸血する。
昼過ぎに一度立ち上がらせられたが、脳貧血を起こしてしまい、そのままダウン。
夕方には室内トイレまで歩いて、カテーテルをはずしてもらうが、お小水はしばらくでなかった。
歩きだしたので血栓防止のポンプも外れる。これが手術翌日の夕方。

このとき、母と姉が部屋にいたが、ぬきうちで、手術日を勘違いしていた方がお見舞いに来てくださった。本当に、気持ちは大変ありがたいのだが、この状態で見舞いに来られるのは非常に非常につらかった。
人が入院したらお見舞いに行きたくなるものだが、本当に状況は見極めて行かないと相手がつらい思いをするのだと、本当に実感した。

そして手術の次の次の日の朝、背中の部分麻酔がはずれ、はずれた途端に死ぬほど痛い思いをし、痛み止めの点滴を入れてもらい、4人部屋に戻った。もちろんベッドごと。

点滴はその後2日続き、その翌日からやっと流動食が始まった。

ああ、あらためてえらいこっちゃでしたよ。